お侍様 小劇場 extra

     “不思議ふしぎ?” 〜寵猫抄より
 


          



 桜も終わって、次はツツジか馬酔木か藤か。一応は都内だとはいえ、ここいらは一軒家の多い、昔風に言うなら“お屋敷町”なせいか。あちこちの庭先に若い緑が萌え始めているのが、そのまま町中を彩っており。

 「みゅ〜ん。」

 こちら様のお宅でも、庭に敷き詰められた芝草や、玄関ポーチのアプローチ沿いに植えられたサツキの茂みが、柔らかな葉を出し始めているし。そろそろお花は終しまいのモクレンに代わり、

 “あれって、なんてお花かなぁ?”

 ふりじあみたいな、すいとぴみたいな、でもでも何だかちょっと違うの。桃色のひらひらしたきれいなお花が、お隣の生け垣の上から覗いてて。七郎次さんと一緒にお庭に出ていた仔猫、風に揺れるのが目に入るたび、その視線をついつい奪われちゃあ、飛びつきたい衝動に小さな体をうずうずさせてる。

 「久蔵? どうした?」

 いいお天気続きなお庭の隅っこ、シーツやシャツを元気よくパンパンと広げては干していた、金髪長身のお兄さんが。空になった籐のカゴを手にポーチまで戻って来がてら、どこをか見上げて、じっとしている仔猫へとお声をかける。風に揺れてる梢に合わせ、自分の小さな身体の方まで ゆらんゆらんと揺らしてる、そんな後ろ姿が何とも愛らしくって。でもでも、声をかけた途端、

 「みぁん?」

 軽やかな髪、風に悪戯されながら、呼ばれたそのまま、あっさりとこっちを向いた坊やだったので。あああ、しまった振り向かせちゃったかと、そっちの方での後悔しきり。とはいうものの、

 「にゃーにゃ♪」

 お膝をほとんど曲げない駈けようで、こっちへ向けて両手を延べつつ、危なっかしい足取りで、ほてほて・とたとた やって来る様子の愛らしさにあっちゃあ。すぐさま掻き消されちゃった程度の後悔ではあったけれど。瞳の潤みもきらきらと、抱っこして早く早くと、気持ちだけが先へ先へと向けられてるお顔なの、こっちも焦れったく待ちながら、

 「は〜い、到着〜♪」

 辿り着き切るすんでのところで、待ち切れなくなってのこちらから。屈みがてらに腕延ばし、そ〜れと抱き上げてしまう七郎次なのもいつものことで。腕へと抱えた小さな温み、なんて軽いのだろかと、そんなことまでが切なくも甘い。みぁんvvと短く鳴く声の かぼそき高さが、胸の奥底じんと突き、そのまま弱くつねるよで。つんとするよな歯痒い痛さも、どうにもこうにも愛おしく。小さなお顔に頬擦りしつつ、日に何度言ってるものかという、いつもの一言を捧げてしまう。

 「大好きだよ、久蔵vv」
 「にぁんvv」

 目許たわめて無邪気に微笑う幼子へ、こっちの言葉は通じてないのかも。それでもいいよ、大好きだよと。肌で伝われ、声で伝われと、きゅうと抱き締めるお兄さんであり。


  早く大っきくなりたいな。
  でもでも、シチよりは小さい方がいいの。
  だってね、あのね?
  こやって抱っこしてもらえないから。
  シチもシュマダより小さいから、
  抱っこしてってもらえるんだよ?
  そでしょ? ヒョゴにぃ?


   ………お後がよろしいようで。
(苦笑)




       ◇◇◇



 房総のほうでは菜の花やアネモネが満開で綺麗だそうですよなぞと、お茶を飲みつつの話題もどこか春めく今日この頃だが。まだゴールデンウィークの前なのに、初夏を先取りするような、そんな陽気が何日か続いてて。
「例年でもこんなではありますけれどもね。」
 それでも夏日以上、ところによっては真夏日に至りそうなほどというのは、さすがに気が早すぎる。当主の勘兵衛は南国生まれの南国育ちであるそうで、寒いのにあれほど弱かったのが一転、暑いのへは随分と強いそうだけれど。
「お主はそろそろ陽焼けに用心せねばならぬだろう。」
 皮肉で言うのではなく、七郎次の白い肌は、北国出身という血のせいでもあるそうなので。あまりに暑いとげんなりするし、油断しているとすぐにも肌が赤くなるとか。
「暑さの方へは随分と慣れて来たほうなんですけれどもね。」
 そちらは気の持ちようなこと。なので、とうに克服出来たが、体質だけはどうにも出来ず。陽盛りに出るときは用心しないとえらいことになるのだとか。そして、

 「用心と言えば……。」

 何か言いかかった勘兵衛が、だが、視線を流すとテーブルから湯飲みを持ち上げて、その語尾を何とか誤魔化そうとしたものの、

 「……。」

 低いリビングテーブルを挟んだ向こう、窓辺の陽だまりで小さな久蔵の髪やお洋服へとブラシをかけていた七郎次が、その手を止めてしまい、
「みゅ?」
 どしたの?とおチビさんが不審に感じるほどの何かしら、背後に感じての薄い肩越し、お兄さんを振り仰ぎ……、

 「ま"?」

 いつもは穏やかな光をたたえているばかりの、青いその眼差しが。今はすっかりと凍りついているのを目撃し、仔猫のほうまでその身を固まらせてしまったほど。

 「……勘兵衛様。」
 「すまぬ。」

 何とも短いやり取りだったが、それで通じる彼らなのは…この件に関してだけは絆云々といった甘い関係のせいだけじゃあないようで。

 「…みゅ?」

 あれれぇ? こんな空気はいつだったかにも嗅いだことがあるようなと。小さな久蔵、小首を傾げ、えっとぉ・うんとぉと思い出す。いつだったかな、そんなに前じゃないよね。そうそう、ほんの何日か前のお昼間だ。お花見に持ってったぺらぺらな畳とか大っきなお弁当箱とかを、大人の二人が裏のお庭の小屋の中へって仕舞ってたときじゃあなかったか。二人の足元ちょこまかしていた久蔵が、勝手口に間近いお廊下の隅っこを、何かが“かささ”って駆けてったのに うにゃん?と気がついて。動くものは見逃しません、何だ何だとそれを追っかけようとした久蔵だったのを、そんな彼より素早く抱えると、

 『ちょ、ダメです久蔵っ。勘兵衛様っ、来て下さい勘兵衛様っ!』

 日頃の朗らかで優しい姿やお声はどこへやら。有無をも言わさずという強引さ、お廊下から引き剥がすような力づくで自分の懐ろに久蔵を収めきり、外へまであふれるほどの鋭いお声で当主を呼ばわると、

 『あ、あああ、あっちへ逃げましたっ。早く早くっ。』

 日頃はあれほど立てているところの、畏れ多くも御主人様へ。指で示してのあっちだこっちだと指図しまくっての、そりゃあもうもう大騒ぎだったのと同んなじだと。小さな仔猫も思い出す。勘兵衛の側は、その時ほど真剣神妙じゃあなくての、せいぜい“ややしまったわい”という程度のお顔であったけれど。七郎次のほうは、うむむと引き絞られた口元が判りやすいまでに不機嫌そうなの示しており。お昼ご飯の時間になるまで、微妙な静寂はなかなか立ち去らなかったほど。


 《 ああ、そりゃあ。七郎次ってお兄さんは、きっとゴキブリが苦手なんだ。》
 《 にがて?》


 お昼になって、いつもの黒猫のお兄さんがやって来たので。ちょっとは機嫌も直ったか、勘兵衛とも他愛ないやり取りが復活していた金髪美形の敏腕秘書殿、お友達が来たよと坊やをお庭へ出して下さった。にぁんvvと甘えるお声も一際弾ませつつ…そのままいつもの体当たりを敢行してから。
(苦笑) 木蓮の枝の上、家人以外には小さな毛玉のように見える身で、伏せの姿勢に丸めた黒猫さんの背へよじよじと登ってみつつ、今朝の経緯のひとしきりを聞かせたところが。銀にほど近い色合いの、金色のお眸々をお家の窓辺へと向けたお兄さん、そんな風にあっさりと見透かして下さって。

 《 それって、つやつやしていて平たくて、
   長い触角があって、恐ろしくすばしっこい虫だったんだろ?》
 《 うと…そおだった。》

 凄いな、何で判ったの?と小首を傾げる仔猫を背負い。リビングの窓の中にいる七郎次からは…坊やが自分より小さい黒猫さんを強引に懐ろへ抱き抱えようとしているようにしか見えないじゃれつき方をしているもんだから、あわわ、また危ないことをしてと、はらはらしておいでなのを遠目に見やりつつ、

 《 人間には虫が苦手だって人が多いんだ。何てのか…怖いとか嫌いだとか。》
 《 嫌い?》

 でもシチは、蝶々が花壇に来るのは綺麗ねぇって微笑って見てるよ? ああ、何も全部がダメってわけじゃない。しなやかなお尻尾を、振り向きもしないで仔猫の鼻先に来るようくりんくりんと振ってやり、にあvvとご機嫌になってのそれを捕まえようとすることで、お兄さんの背中から降りる方向へと誘導しつつ、

 《 理由はいろいろで、気持ちわるいとか刺されたら痛いからとか。》
 《 ささえゆ?》
 《 さ・さ・れ・る。》

 昼間のこやつはまだまだ子供で、舌っ足らずなのも仕方がないという理解もあるが。それでも言葉遣いだけは、ついつい正してしまう兵庫お兄さんであり。

 《 毛虫やムカデやクモには毒針を持ってるのもいるからな。あと、蜂とか。》
 《 ハチ!》

 不意に声が大きくなった仔猫さんへ、何だなんだとお兄さん猫がその身をびくくっと震わせる。あやや、何かやらかしたのかなと、先ほど何かを取りに行き、そこから戻って来た七郎次が、その足をひたりと窓の前にて止めたほどの驚きようだったのだが、

 《 みちゅばち! 刺したら痛いたい?》
 《 あ、ああ。知ってるのか?》

 仔猫という屈託のない存在になりきるために、自分へ封印をかけている久蔵なので。この姿のときは、本当に何にも知らない幼子の筈なのだけれど。

 “…というか。封を解いたとて、知らぬことのほうが多そうなのだが。”

 おいおい、どさくさ紛れに何をぼやいてますか、兵庫さん。
(苦笑) そんな無邪気な仔猫さんに、あの、傍から見ていても十分に過保護さ満開なのが察せられるよな、七郎次や勘兵衛の二人が、出先での不注意からでも危険な蜂なぞ近づけたものだろかと。そこは廉直に疑問を感じた兵庫殿だったらしいのだけれど。

 《 レンゲや菜の花、大好きで。ぶんぶんぶんって飛んでたのvv》

 近くて遠いお友達と遊んで過ごした、そりゃあ楽しかった1日をついつい思い出し。ばんざ〜いと双腕上げてまでして はしゃいで見せる仔猫の久蔵で。そんなはしゃぎようが木蓮の樹を通してどこやらにか届いたものか。ほんのすぐ翌日に、思わぬ来客が訪れてくれたのである。





  NEXT


  *すいません。もちょっと続きますvv


戻る